「百会」から「丹田」におろす

むかしむかしといっても呼吸法を始めた年、平成元年のこと。
アカデミーには若い(私より)男の先生がいました。
もちろんダンス教師資格試験に合格した、れっきとした先生です。

ただ、師匠が悪かった、私だから。
大分なんて片田舎の教師協会になると、ダンスなんてろくに踊れない 古株の長老の世代が組織を牛耳っていて、東京帰りの私なんて 何かといえば目の仇にされたものでした。

その弟子の若いやつですから、当然いじめられますわな。
何かといえば「おい、こら、ちょっとこい」となります。
若手の先生、名前はTMとしておきましょう。

TMくんは、ダンスはアルバイト、本職は公務員さん、それもお固いところ。
ダンスごときで波風は立てられません。
仕方ないから、なんでもハイハイと聞いていました。

西野流呼吸法をやり始めたときに、これはいいと思ったのがなんでも腹に落とすことです。
足芯呼吸で百会から丹田に落すのをいつも心がけていました。

あるときダンスの会合があり、そのときやっぱり古株の一人につかまりました。
そのときは私もいっしょです。
二人仲良く呼び出されてお説教です、なんで怒ってんのかは忘れました。
その頃はまだ私は鬼の河瀬の時代、頭にすぐ血が昇り顔が熱くなります。
「何を生意気に、いっちょう張り倒してやろうか……」そのくらいのことは常々胸の中にありました。

ところがTMと二人してやられているときには、相手の怒ってる顔を見ないでTMの顔が気になります。
やつは一生懸命頭から下におろそうとしています、それが見えるんです。
もちろん口ではお説教にちゃんと答えてますよ、「はい、今後気をつけます」とかなんとか言って。
私もやりました、頭から腹におろす。
足芯呼吸で練習してるせいか、そんなに難しくないんです。
TMくんも何とかうまくおろせるようです。

ところがそれを腹に維持しておけない、ようするに丹田がないんですな。
腹に降りた瞬間、元の頭に戻るんです。
またはじめからやりなおしです。
二人してそれを繰り返している間に、いつのまにやら古株の先輩の怒りは収まったようです。
お説教は終わりました。
もちろんその内容は頭に残っていませんよ。

二人して納得しました。
一生懸命に、腹、腹ってやってれば、少々のことは苦にならないって。

それから10年以上経って丹田ができ頭に血が昇ることもなくなったときにそのことを思い出してみると、 初心者の気持ちがよく分かります。
しかしそのころ、一生懸命に頭から腹におろそうとしたモノが、「気」なんてものではないのだ、 「気」というエネルギーはもっともっと違うものだということは、今になってみるとよく分かります。
どう違うのかは、未熟な私には、言葉では表現できませんけど……。

頭に血が昇った状態は、私の場合は何かあったときだけでしたが、人によってはそれが常時あることもあるようです。
現代人の中には、その軽い状態の人がたいへん多くいると思います。
そんな人が西野流呼吸法をはじめると、うまく行かないことも多いのではないでしょうか。
頭にある、何かを、何とかしようとしてしまうから西野流本来の良さを味わうことなくあきらめてしまうケースが多いと思います。
西野流呼吸法を、ただそれだけをやってると、頭に何かがある状態がなくなって、いつも腹に収まっているようになるのです。

でも、はじめは足芯呼吸で百会から丹田におろすのを本当にしっかり稽古するのが大事ですね。
はじめは私達のように実感として降りてくるから稽古はやりやすいと思います。
それができない人は、できるまでやればいいんです。

あんまり頭に上がらない人は無理にそれにこだわってはいけませんよ。
それを気にしなくてもいい人もいっぱいいるわけですから。
他人が感じたことを自分も感じないとと思うのが一番やばい状態です。
自分は自分、他人は他人、DNAは皆違うのですから。

10年ちょっと前に私達にお説教をしてくれた先輩は、昨日、病気で帰らぬ人となられました。
合掌 2000/09/11

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