「ことば」

「ことば」って、おもしろいと思いませんか。
話し言葉を聞けば、その人の考え方や性格、育ってきた環境などが分かってくるからおもしろいと思います。
ことばは自分を表現するための一つの手段です。
ことばは、口で声に出して表す場合と文字で文章にして表す場合があるようですが、私は声に出して表すのは特に苦手です。
どうも頭の回転がついていかないようで、後から「あの時、こう言っとけばよかったなあ」と、後悔することがよくあります。
弁の立つ人に出会うと、うらやましくて仕方がありません。
いつもことば足らずで終わってしまう私です。
損をしているのか得をしているのかは分かりませんが、得をしていることはほんのわずかでしょう。

こまさんの娘画像

私には、10歳と5歳になる二人の娘がいます。
二人は、何が違ったのか性格もことば使いも全く違います。
上の娘はことば足らずで、私みたいにきっと損をしていると思います。
自分が損をしているということを、彼女自身で早く気が付いてほしいなあと思います。
下の娘は、どこでそんなことばを覚えたのかと感心することもあるし、逆にあきれることもあります。
下の娘は、いろいろ言うかわり質問も多く大変です。
5歳という年齢的なものもあるかもしれませんが、質問攻めの毎日。
時には辞書を片手に説明する事もあるくらいです。
聞いたことに対して説明していると、説明していることばが分からないので、説明の説明がいるわけです。
そのうち私も、面倒くさくなってしまって、
「そういうことなの……、まだ、わからんでいいわぁー」
と、ごまかしていると、そのうち
「まだ、わからんでいいわなぁ~」
と、娘が言い出す始末。
この間は、大人が使うようなことばを、サラッと言っているので、
「どっから、そんなことばがでるん?」と、主人。
「口から!!」と、娘。
家族みんなで笑ってしまいました。確かに、口からに違いありませんね。

子供は、毎日いろいろなことばを見たり聞いたりしながら、吸収しては自分なりの表現をしています。
でも、いつからことばを吸収しているのでしょうか。
私達は、母親のおなかの中にいる時から、ことばを聞いているようです。
妊娠して2ヶ月で耳ができ、8ヶ月の頃には聴覚が発達し外の音に反応すると本にあります。
こんな時期から聞いているなんて、我が子はもう手遅れかしら……。
でも、まだまだこれから今日からがんばろうと今は決意するものの、毎日の事になるとなかなか思い通りにはならないものです。
それに、私一人がんばってもほんの微力にすぎません。
子供たちを囲んでいる環境、といっても、テレビの影響はすごいと思う。
子供はテレビでおもしろおかしく表現されていることをインプットするのはかなり早いようです。
テレビで見たり聞いたりしたことばの表現を、うのみにして使っていると大変な事になるかもしれません。
子供たちには、実際の体験をもとに自分のことばを使って、自分なりの表現をしてほしいなぁと思います。
そのほうが使ってる本人もうまく表現できると思うし、相手にもよく伝わるはずです。
未来をになう子供たちには、いろいろな体験をして、いいことばの表現をしてもらいたいですね。

きーちゃん画像  また、子供は大人と違って、奇想天外なことばの発想をするのに驚かされます。
大人では絶対に思いつかないことを言っては笑わせたり、ドキッとさせられたり、本当におもしろいですね。
私たち大人も子供の頃は、こんなゆかいな発想をしていたのでしょうか。
大人になるにつれ現実を知り子供のような発想なんてできなくなってしまったのかと思うと、とても悲しい気持ちになってしまいます。
いつまでも子供のような発想をもっていたいものですね。
でも、大人の中にも子供心を持った人はたくさんいます。
何が違うのでしょう? 頭の中が違うの?! 頭の中を見てみたいなぁ……。
考え方が違うのでは……? 考え方が違うということは、体が健康で元気だということにつながりませんか?! 
例えば、娘が学校であった楽しい話をしているときに、私が体調が悪かったら……、とても共感する気分にはなりません。
そうなると、返すことばも当然変わってしまいますね。
ということは健康な体があれば、いつも交わされていることばに対しても、正しく反応できるのではないでしょうか。
やはり、何をするにも「健康第一」です。
健康な体で正しく反応すれば、返すことばも違ってきて考え方も違ってくるのでは。
考え方が変われば、人生までもが変わってしまうかもしれませんね。
いつまでも子供みたいに好奇心旺盛に毎日を過ごしたら、きっと楽しいに違いないと思います。
私たち大人は既成概念にとらわれすぎて、つい臆病になってしまいますが、楽しい楽な人生のためにも、 健康な体で子供の頃のような柔軟な発想も忘れてはいけないと思います。
子供みたいにプヨプヨ柔らかな体だったらなあと思います。
子供たちから教えられること……、本当に多いですね。

健康といえば、2年半ほど前、下の娘はひきつけを起こし意識不明の重体に陥ってしまったことがあります。
口には呼吸器をつけ、鼻には管を入れ、手足には7本の点滴……。
本当にこの先どうなってしまうのかと思うくらい無惨な姿でした。
小さな体の回りには機械だらけで……、今この娘はこの機械で生かされている……。
もしこれが止まってしまったらなどと、よからぬことをつい考えてしまう。
命は助かっても障害が残るのは間違いないと覚悟を決めた。
3日後、病院のほうから、
「呼吸器をはずしますけど、もしかしたらことばが出ないかもしれませんよ。
そのときは赤ちゃんに教えるようにひとつずつね」と言われ、返事をしたものの、どうしたらよいのか悩んでしまった。
その後、呼吸器をはずし、意識が戻った娘。
最初はなんともいえない声で泣いていました。
呼吸器をつけていたので、のどの具合が悪かったのでしょう。

パン画像やがて、
「パンが……、食べたい……」
と、第一声がでたのです。
感動です。
びっくりしました。
しゃべれるじゃない!! 
うれしいやら、驚くやら、食いしん坊の娘らしいひと言でした。
しかも、二語文が話せるなんて、本当にすごい。
この時、もうすぐ3歳になる娘です。
二語文が話せるなんて、当たり前のことだと思っていましたが、この当たり前こそが幸せなんだと痛感させられた瞬間でした。
歩いたり、話したり、笑ったり、こんな普通のことができるというありがたさが身にしみました。
でも「しゃべれないかも……」と言われた時は、この先どうこの娘と向き合っていこうか……。
まず、私のことを母親だと理解してくれるのかなどと、本当にいろいろなことが頭の中を駆け巡りました。
でも、今、娘は話も運動もできるし、毎日お友達と元気に遊んでいます。
ありがたいことです。
入院したときにお世話になった先生方や看護士の皆さんには頭が下がります。
担当の先生は、あの日お休みしていたのに駆けつけてくれ、様子をみるため夜中でも何度となく病室に足を運んでくださいました。
どんなに心強かったことか……。
本当にありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。
看護士さんたちもお休みを返上していただき、大変お世話になりました。
娘の命を救ってくれてありがとうございます。
この気持ちは一生忘れることはありません。
そして、皆さんに助けていただいた命を大切に、だいじにして生きていきたいと思います。

感謝画像  「感謝」「ありがとう」このことばは、本当にいいことばですね。
感謝するということは大切だと思います。
私も、感謝しないといけないことがたくさんあります。
私は、たくさんの方々にお世話になり、支えられて生きています。
その方々、一人一人に「ありがとう」のことばを心から送りたいと思います。
常に、何事にも感謝。
普通に生活できることにも感謝。
ここの普通にということばに対しては、個人各々の価値観に任せることにします。
以前は、毎日同じことの繰り返しでつまらないなぁ~と思っていたときもありました。
でも、それこそが幸せなのです。
ふだんはあまりにも普通すぎて、気が付かないかも知れないけれど、普通に生活できるありがたさというものも、 忘れてはならないと思います。
感謝できる心のゆとりを持ち続けたいものですね。

いろいろなことが伝わってしまうことばですが、ことばよりも伝わってしまうものがあると思います。
「目は口ほどに物を言う」というように、コミュニケーションの取り方はさまざまです。
ことばは、目で見たり耳で聞いたりできる便利なものです。
でも、本当に大切なものは、この「ことば」ではなく、一人一人が持っている「心」ではないでしょうか。
「気持ち」なのではないでしょうか。
「気」があればことばはなくても、自然に相手に伝わってしまうものです。
目に見えているよりも、見えていないものの方が大切なのかもしれません。
「以心伝心」というのもありますね。
老夫婦画像 皆さんは、以心伝心できる人はどのくらいいますか? 
気持ちが通じ合っていれば、
ことばなんて必要ないものになってしまうかもしれません。
でもこれは、気が通じ合っていなければできないもの。
そういえば、どこかの老夫婦がまさにその通り、
私も主人とあんな老夫婦みたいになれるのかしら……。

平成14年6月30日
こま記す

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