なかむらのママを悼む

別府の中村紀子さん(62)が亡くなった。
私たちには「なかむらのママ」のほうが通りがいい。

別府のアカデミーは、「なかむら珈琲店」(当時はまだ「ロイヤル」といって、マスター一人でやっていた)の隣のビルにオープンしたのだった。
オープン当初はまだ別府に観光客が夜おそくまで散策する風景を見ることができた。
当然、飲食店の閉店時間は深夜を回るのがあたりまえの時代だった。
アカデミーも夜11時過ぎまでは生徒が帰ることはなかった(営業形態はダンスホールでないにもかかわらず)。
終わったら毎晩隣の「なかむら」へ直行でした。
その頃は、カウンターは常連でいつも満席、私たちの姿を見ると席を交代してくれたものでした。
そのカウンターの中にはママかマスターが常に……。
常連とママやマスターとはいつも言葉が飛び交っていたものです。

ママはそこが「ロイヤル」の時代には、旧市役所の近所で喫茶「なかむら」を経営していて、「ロイヤル」のカウンターはマスターだけが入っていました。
市役所の移転に伴い、そこの店を閉めて「ロイヤル」を「なかむら珈琲店」と代えて、ママが常時カウンターに入るようになりました。
ママが来た当初は、マスターとママでは珈琲の淹れ具合が少し違っていました。
ママはちょっとうすめのマイルドな珈琲を淹れてくれました。
いつの間にか、その味はなくなってしまったけど……。

私たちが別府のアカデミーを、ビルの老朽化のために退去して、大分の教室だけになるまで「なかむら」はアカデミーの応接間でした。
ママは人当たりがよく、話も聞いたり話したりがたいへん上手でした。
ただ、あまり口にはしなかったけど、芯が強く自分の考えは頑固に貫き通す人でした。
それを他人に押し付けることはなかったけど、いつも見ていると、何気ないしぐさにそれをよく見たものでした。

私たちが呼吸法を始めたときには、当然の如くママにも声をかけたのですが……残念ながら、気を向けることもなかったですね。
その頃は、例のM氏も常連の一人だったから、間違ったイメージを持っていたかもしれません。
そのことについては、直接訊いたこともないのでなんともいえませんが……。
常日頃ママは、自分はちょっとした病気は精神力で治してしまうと言ってましたね。

精神力という、頭を使うことはとても危険なことなのだと伝えたいけど、その頃、私自身のパワーもそんなに強くなかったから、無理な相談でした。
頭(精神力)をよく使う人だったから、生命力をいたずらに縮めてしまったのでしょうね。
1年ほど前に、ママが悪いということを耳にしました。
いちどは退院したけど、最近はまた悪くして入院してると、大分の街で偶然会った娘さんとであったTaeさんが聞き込んできました。
その前に、息子さんから、母は時々大分に仕事で行くのですよとメールをいただいたことがありますが、返信に、いちどアカデミーに寄るように伝えてくださいと書いたことを思い出しました。

再度入院する前に、直接、仕事なんかとんでもない、頭を使うことがいかに危険なことか、病気とは何ぞやということを話したかったです。
それも、ママの運命だから仕方がないといってしまえばそれだけのことですが……死ぬのは早すぎるような気がします。

寂れゆく別府の生き証人となるべき人であった「なかむらのママ」は、そんな証言はまっぴらごめんと、さっさとこの世におさらばしたのかもしれません。
ママの冥福を祈ります。

2002/12/14 記す
通夜の祭壇画像

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