フラメンコのオヨスが大分へやってくる

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悲しみの光放つ存在感。奥深い心情
オヨスが、乳ガンを宣告されたのは8年前の96年。ダンサー生命の危機でしたが、彼女は、しかし、病名を公表して舞台に復帰したのです。その理由は「舞台にわたし自身の身体をさらして踊り続けることで、多くの、同じガンに苦しむ女性の励みになれれば」と言うオヨスの強い意志と温かい心からでした。オヨスはいま、世界各国を公演しながら、ガンに苦しみ、悩む女性たちを励ましていますが、母国スペインでは、ガン協会の名誉理事としても活躍し、温かな優しいまなざしを注いでいます。よろこびと悲しみを知り、人生を深く味わってきた存在感に、人々は慈母のような光を湛えている、と口々にします。奥深い心情を伝える舞台が、鬼気迫る迫力をもって繰り広げられます。
 
クリスティーナ・オヨス舞踏団
Ballet Cristina Hoyos
  セビリャに生まれる  
  12歳の頃より子供のショー《若きスターたち》で踊り、ほどなくして自ら振り付けを行うようになる。  
  16歳でニューヨーク国際見本市のスペイン館でデビュー。  
1969年 アントニオ・ガデスのカンパニーに招かれ、1974年「血の婚礼」で主人公の花嫁を演じる。
  1975年   ガデス舞踊団の解散に伴い、自ら数々のツアーを組織。  
  1978年   ガデスと共にカルロス・サウラ監督の映画「血の婚礼」に花嫁役で出演。  
  1981年   新しいカンパニー《アントニオ・ガデス舞踊団とクリスティーナ・オヨス》を結成。
世界的に名声のある各地の劇場で公演し、数々の偉大な賞を受賞。
 
  1983年   カルロス・サウラ監督の映画「カルメン」に出演し、映画作家協会より賞を受ける。
同年、舞台版の「カルメン」にも出演し、史上最高のカルメン・ダンサーとの申し分のない評価を受る。
 
  1985年   サウラ監督の映画「恋は魔術師」で主演。1988年、ホセ・マリア・サンチェス監督によるテレビシリーズ「白鯨」(ヘミングウェイ)にピカソの母親役で出演。  
  1989年   ヴィセンテ・エスクリバ監督の映画「モントーヤ家とタラント家」に出演・振付で参加。
同年6月、パリ・フェスティバルで新しいカンパニー《クリスティーナ・オヨス舞踊団》がデビュー。
 
  1990年   ヤコブ・ベルガー監督の映画「天使たち」に出演。
同年2月にはパリ・オペラ座で「フラメンコの夢」を上演、大成功を収めた。
 
  1991年   スペイン文化省より舞踊における国民栄誉賞を贈られる。またアンダルシア州政府よりアンダルシア金メダルを授与される。
同年4月にはロンドンのコヴェント・ガーデンにてズービン・メーター指揮によるオペラ「カルメン」の振付を行う。
 
  1992年   「フラメンコの夢」を携えて《クリスティーナ・オヨス舞踊団》としての初来日。
全国のフラメンコ・ファンに強烈な印象を残した。
同年に開催されたバルセロナ・オリンピックでは開会式に登場し、フラメンコの「スター」として衛星中継を通じて世界中の人々を魅了する。
 
  1993年   「アンダルーサ・デル・アーニョ92」に選ばれ、その美しい芸術に対してスペイン政府より金メダルが贈られる。また1997年にはフランス政府やカナダのモントリオール・フェスティバルなどから名誉ある賞を贈られる。  
  1999年4月   「歓喜の鼓動」を上演。2000年には、フラメンコとスペイン舞踊への多大な貢献に対して、スペイン舞踊協会やセビリャの報道機関をはじめとする数々の団体から様々な賞を贈られ、現代最高の女性舞踊家として絶賛される。  
  2001年3月   セビリャにて「コンパス・デル・カンテ」賞を受賞。  
  2002年3月   乳ガン撲滅運動に対する支援と功績を、ヨーロッパがん協会より表彰される。 現在、オヨスを中心にすえた2004年のセビリャ・フラメンコ博物館設立に向けて準備が進んでいる。  
  2002年に次ぐ6回目の来日。  
*クリスティーナ・オヨス舞踊団は、今回の日本公演をもって終了します。
オヨス自身は、スペイン政府の強い求めに応じ、新しい舞台づくりをはじめることになりました。
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