謝罪広告命令は合憲 遺族側の勝訴確定 聖嶽訴訟で最高裁
 
判決が確定し喜ぶ原告の賀川真さん(右)や支援者(最高裁前で)

「週刊文春」の聖嶽(ひじりだき)洞穴遺跡=本匠村=ねつ造疑惑報道に抗議し、2001年3月に自殺した賀川光夫・元別府大学名誉教授=当時(78)=の遺族三人が、同誌を発行する文芸春秋などに損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)は15日、遺族側の請求を認めた二審福岡高裁判決を支持し、被告文芸春秋側の上告を棄却した。遺族側の勝訴が確定した。

才口裁判長は判決理由で、「謝罪広告の内容が単に事態の真相を告白し、陳謝の意を表明するにとどまる程度の場合、憲法に違反しない」と指摘した。

福岡高裁判決によると、週刊文春は2001年1―3月、聖嶽洞穴遺跡で賀川氏が石器などをねつ造したかのように報道。賀川氏は「死をもって抗議する」と遺書を残して自殺した。

同高裁は「記事は賀川氏がねつ造に関与したと誤信させる内容で、掲載に相当の理由はない」と判断。謝罪広告の位置を「雑誌の最初のページ」と指定し、一審大分地裁判決の認容額660万円を920万円に増額した。

文芸春秋側は謝罪広告について、「自らの紙誌面に何を掲載するかという最も基本的な権利を報道機関から奪い、掲載を拒否している内容を掲載させるもので、憲法で保障された表現の自由から導かれる報道の自由に違反する」などとして上告していた。

聖嶽洞穴遺跡は1962年、賀川氏らの調査で旧石器時代とされたが、99年の再調査で「旧石器時代とは確認できない」と報告された。

最高裁第一小法廷には、原告で賀川氏の二男、賀川真さん(41)=東京都在住=が出廷。支援者ら約十人も傍聴した。

予想通り上告棄却の判決が言い渡されると、賀川さんはほっとした表情。支援者らは裁判所前で「勝訴」の垂れ幕を出して喜んだ。賀川さんは「大分地裁から始まり、やっとここまで来た。完全勝訴で、苦労が実りうれしく思っている。皆さんに注目して頂いて本当にありがとうございました。文芸春秋側が判決を誠実に履行し、父の墓前に手を合わせて心から謝罪してほしい」と話した。

[2004年07月15日13:23] 大分合同新聞

訴訟の経緯 週刊文春は2001年1―3月、聖嶽洞穴遺跡で賀川氏が石器などをねつ造したかのように報道。賀川氏は「死をもって抗議する」として自殺した。遺族は同年11月、「記事は故人が遺跡をねつ造したと断定し、全業績、人生を否定した」として、文芸春秋などに謝罪広告の掲載と損害賠償を求め提訴した。1審大分地裁、2審福岡高裁とも遺族側が勝訴。最高裁第1小法廷は15日、2審判決を支持し、文芸春秋側の上告を棄却。謝罪広告の掲載と920万円の賠償を命じた判決が確定した。


聖嶽勝訴 遺族らが報告集会
 
あいさつする賀川光夫・元別府大学名誉教授の長男、洋さん

「週刊文春」の聖嶽(ひじりだき)洞穴遺跡=本匠村=ねつ造疑惑報道に抗議し、2001年3月に自殺した賀川光夫・元別府大学名誉教授=当時(78)=の名誉棄損訴訟で遺族側の勝訴が確定したことを受け、15日、大分市の県弁護士会館で報告集会が開かれた。遺族らは勝訴を喜び、支援者の協力に感謝しながらも、変わらない無念さをのぞかせた。

集会は「賀川光夫先生の名誉回復の裁判を支援する会」(梅木秀徳会長)の主催。原告の長男洋さん(48)は、賀川氏の妻トシコさん(80)と共に、遺影を持って出席。約百人が黙とうをささげた。

洋さんは「皆さんの支援のおかげで今日を迎えることができましたが、裁判に勝っても父は帰ってこない。ずさんな取材によってペンは凶器になる。文芸春秋は悔い改め、墓前に手を合わせてほしい」と述べた。その上で、「言論の自由は非常に大切であり、守っていかなければならない。それを担うマスコミは責任の重さを実感してほしい」と強調した。トシコさんは「皆さんのおかげでここまで来ることができました」と礼を述べた。

遺族側弁護団の鈴木宗厳弁護士は「一審から上告審まで極めて異例の速さで判断され、機を逸することなく名誉回復が図られる」と評価した。

文芸春秋に対しては、「早急に謝罪広告を掲載するよう誠実な対応を期待したい」とした。

集会終了後、遺族らは賀川氏が眠る別府市内の霊園を訪れた。

[2004年07月16日09:28] 大分合同新聞

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