近藤勇の法要記録文書を発見
記録が見つかる 2004/10/13
 

 新撰組の近藤勇(1834-68)が中山道板橋宿(現在の東京都板橋、北両区境)で処刑された際、「介錯役」を務めた岡田藩士の横倉喜三次が、勇のために岡田藩(現在の岐阜県揖斐川町)内で営んだ法要の記録文書が揖斐川町で13日までに見つかった。

 喜三次が受け取った介錯の賞金全額をつぎ込み、藩主や自分の菩提寺から僧侶を呼んだ事実が記されている。藩の武術指南役だった喜三次は勇と同様に剣術の使い手。介錯役の立場を超え、勇に心を寄せていたことを示す貴重な資料といえそうだ。

 文書は「大和守法会入用覚帳」と参列者の手紙二通で、歴史研究家あさくらゆうさんが喜三次の子孫宅で発見した。

 手紙には「(喜三次が賞金の)金子を下さり、お竹さま(喜三次の妻)が十六日に営まれました」と記述。藩主の菩提寺の松林寺、横倉家の大興寺などの僧侶ら六人が法要を執り行ったことや参列者の名前も書かれ、参列できなかった喜三次に様子を伝えている。

 もう一通は「近藤は処刑に処せられたる者であるが、(喜三次の)深い情けで法会をしてもらい、きっと来世は仏果(良い結果)が得られるのではないか」と喜三次の思いをくみ取る内容。

 覚帳には法要が「閏四月十六日」(現在の6月7日)に行われたことや、お布施の額などが詳細に記録されていた。

 近藤勇は新撰組の局長として京都で活躍したが、1868年4月初めに現在の千葉県流山市で官軍側に捕らえられた。25日に処刑されるまで岡田藩などに預けられ、喜三次とも会っていた。揖斐川町歴史民族資料館の粟野守之館長は「喜三次が勇の法要をした事実はあまり知られておらず、内容を伝える貴重な資料。勇を『大和守』としており、幕臣としての敬意を表しているのではないか。ヒューマニズムが感じられる」と指摘。

 あさくらさんは「剣士として同じく武術を極めていた勇と相通じるものがあったのではないか」と話している。(共同)

以上が新聞に載った記事だが、今ちょうどNHKの大河ドラマで新撰組が放映されてるので良いタイミングの情報となった。
 ドラマでは、14代将軍家茂が死に、15代将軍に慶喜が就任し、天下の情勢は大きく変わろうとしているところで、沖田総司や坂本龍馬がそろそろ死ぬ時期に来ている。

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